No285号 乙部地域の城主と地名

2022年 7月 4日 月曜日

この度乙部地域共同のまちづくり事業促進委員会で発行した小冊子をいただいた。乙部の発祥について書かれている。乙部地域は山、川の自然が多く、また、遺跡が多く、石器や縄文土器が見つかっている。それぞれの地域に城主がおり、黒川館後は館林神社の上に居城した山城で城主は黒川左エ門と言ったらしい。

この地域の概要は東に朝島山、西に北上川、北には大沢川が流れ、集落があり、また、多くの出土品が発掘されている。南には高陣山が連なっている。この山には八幡太郎義家が前九年の役で阿部貞任征伐の時、陣頭指揮を執った場所で黒川の平地は戦場ヶ原と化したことが伺われるという。

さらに当地に伝承されている黒川さんさ踊りは武将にいる先勝の舞をみて農民が五穀豊年を願って踊り継がれたものだそうだ。

また、今、「鎌倉殿の13人」という大河ドラマを放映しておりますが、ドラマでは義経はすでに藤原氏によって殺されている。黒川から北寄りのところに手代森という地区がありますが、この冊子によると義経は頼朝から逃れて手下数人と越後獅子姿で手代森まで旅を続けたといいます。しかし頼朝の追手は手代森まで来ておりましたが新山家一党は固く義経をかくまったそうだ。

このような歴史を知ることは非常に興味がありますが、先人の因縁を感ずるのは私だけだろうか。一度由緒ある処を散策したいものと思っておりますが、過去に戦場になったところですので憑依されないようにしないといけないと思います。編集された委員会の方々に厚く御礼申し上げます。

院長記す

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